映画 稲村ジェーン の広告用のキャッチ・フレーズでした。
夏の終わりには、いつも楽しかった夏が終わってしまう寂しさ一杯の気持ちで、このフレーズを想い出します。学校と違って、夏休みがそんなにある訳ではない社会人。会社の夏休みが終わってしまう寂しさもありますが、8月末となると、夏が終わってしまう寂しさの方がひとしおです。
折角、夏休みに海水浴に行っても、あいにくの天気で残念な想いをした時よりも、冷夏で決して暑くなかった夏でも、不思議と8月の終わりには同じ寂しい気持ちに未だになります。
そんな、いろいろあった夏の終わりの寂しさを描いた作品です。
サーファーの骨董屋のヒロシ(主人公)と仲間のギタリストのマサシ、ヤクザのカッチャンのひと夏を描きます。舞台は1965年(昭和40年)の稲村ケ崎、20年に一度来る大波・ジェーンを待ち望んでいます。ジェーンが前回来た時に(きっと)波乗りをしたやはり3人組が絡んで来ます。
ヒロシ | ![]() | 加勢大周 | サーファー |
マサシ | 金山一彦 | ギタリスト | |
カッチヤン | 的場浩司 | ヤクザ | |
波子 | ![]() | 清水美砂 | |
骨董屋主人 | 草刈正雄 | ||
ビーナスのマスター | 伊武雅刀 | ||
金目鯛船船長 | PANTA | ||
ダラダラとした暑い夏を過ごすヒロシとマサシは、遠出した帰りに波子と出会い連れて帰ります。骨董屋で大事な壺を売ってしまったことから鎌倉のヤクザの親分に呼び出されたり、シャボン玉の涼しげな海の家、海辺の骨董屋の静かなたたずまい、海岸沿いの山間の細い道、神々が住んでいる山中 など私の生まれる前の情景が映画ならではです。
大波ジェーンを待ち望んでいる姿がストーリーを盛り上げます。骨董屋の習わしとなっている毎日水がめにコインを入れる。目的は貯金では無く願掛けです。水が溢れるとジェーンが来ると言う言い伝えを愚直に実行しています。
入院している骨董屋の主人は、波の高さを頭三つもある大波だと力説し、ビーナスのマスターはラジオのニュースで台風の進路を聞き、20年前のジェーンと同じ経路だと興奮するシーンが、どんなに大きな波がやって来るのか と言う期待感を膨らませます。
監督は桑田佳祐、言わずと知れたサザンオールスターズのリーダーです。桑田佳祐の第一回監督作品です。1990年(平成2年)公開でもちろん映画館に観に行きました。
撮影場所は、実は伊豆の南端、弓ヶ浜だと知って、弓ヶ浜にも海水浴にも行きました。

前評判のわりには、映画としての評価は良くありませんでしたが、私 個人としては、とっても良い映画だと思っています。社会人になってサーフィンを始めたものの、波には乗れない、丘サーファーにとって、高校時代にバイクで通った大好きな湘南(映画では、ここは稲村、湘南なんて言わないよ。と言うビーナスのマスターの言葉がありましたが)は、『海』の代名詞であり、青春そのものでした。私の青春時代と映画での暑い夏、そして夏の終わりの寂しさが身に沁みます。映画ではひと夏の経験で成長しますが、未だに私は、心は青春時代のまま、成長出来ていません。
1192作ろう鎌倉幕府と覚えた鎌倉も想い出多い場所で、未だに鶴岡八幡宮、大仏には参拝に出かけます。鎌倉ハムを使ったサンドウィッチを初めて食べたのは、海外出張に行く成田エクスプレスでの車内販売。小腹が減ったので、サンドウィッチで良いかと買って食べましたら、その上品さに一目惚れしぞっこんです。ハムでマヨネーズと辛子のバランスが絶妙で、以来、定番となっていましたが、いつしか車内販売が無くなってしまい、なかなかお目にかかれていません。
結婚して、LD(レーザー・ディスク)を買いました(当時は未だDVDなるものは存在していませんでした。オーディオ好きな友人がLDは一生ものだからと言っていましたが、再生する機械・プレーヤーの方が一生ものでは無く、中古を探して未だ現役です。)。夏の終わりには、毎年観て、『夏が終わってしまう』寂しさを感応しています。
▷DVDの購入はこちら